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ジャニ、時々、サメ

ステージで輝く人たちと、軟骨魚類が好きです。

変わり続けていくという事。~Endless SHOCK2016雑感~

堂本光一

こんにちは、つかたんです。

今日はいよいよIf or...Ⅷの初日ですね。今年村上信五が何をやりたくて、何をどれだけ吸収出来るのか楽しみにしていようと思います。

ありがたい事に先行一般とも全滅だったんですけど、フォロワーさんにお声を掛けて頂けたので、今年もしっかり楽しんで来ようと思います。

 

さて、2016年2月19日、帝国劇場にてEndless SHOCK2016を観て参りました。

去年のSHOCKを観てから少しずつ少しずつ自分の中で考えていた事をまとめる時期が来たのかなぁと思いましてこうしてブログを書き始めています。

ここまでで何となくお察しの方もいらっしゃるかも知れませんが大絶賛の記事ではない事だけ念頭に置いておいて頂ければと思います。

長くなりますが仕様です。

 

2001年、初めて足を踏み入れた帝国劇場の2列目、センター下手通路横。光ちゃんのリボンフライングの水色リボンが頭を掠めてから15年。

年々変わる演出、演じ手が変わればその舞台の毛色も大きく変わります。

勿論関東在住ではないので毎週毎週通ったりは出来ませんでしたが、それでも演者が変わる度、劇場が変わる度、ロングランではなるべく序盤、中盤、終盤と変化を楽しむように足を運ぶようにしました。

日々変化と前進を続けて来たEndless SHOCKという舞台にほんの少しの違和感を覚えたのはいつの頃だったか正しく記憶していないのですが、大好きだった曲が演目から外された時から少しずつ、少しずつその違和感が大きくなっていたのを覚えています。

そして2月19日18時公演、おそらく最後になるだろう観劇を終えてきました。

スクリーンに映し出された『2000年』から『2016年』までのカウントアップで既に感極まってしまい、光ちゃんが出てくる前に泣き出すという始末でしたが、しっかりと目に焼き付けて参りました。

勿論全く楽しくなかった訳ではないんです。本当に素敵なショーでした。でも、ワタシの好みではなくなってしまっていた。ただそれだけなんです。

ジャニーズブログの中で多くを占める話題の中に『担降りブログ』というカテゴリがあります。自分が今まで応援してきたものから『降りる』というブログを、ワタシは書いたことがありません。何故ならワタシは担当増加式のジャニヲタだからです。

今回はそんなワタシの初めての『担降りブログ』、Endless SHOCKという舞台からの担降りブログになるのかも知れません。

 

文章の組み立て方が下手くそなので話が行ったり来たりしていて申し訳ないのですが、ワタシが近年感じていた違和感はきっと「説明しすぎる」という点に集約しているような気がするのです。

好きな曲がなくなったり、好きな衣装が変わってしまったり、そんな事は全然今まで乗り越えられたんですが、説明しすぎる不細工さを直視出来なくなってしまったのが一番の原因のような気がするんです。

 

表現って難しいんですよね。説明しないと伝わらない、でも説明しすぎると不格好。

ワタシは考察大好きマンなので、少ない説明から色々「ああじゃないか、こうじゃないか」って考察するのが舞台の一つの醍醐味だとも思っているんです。

だから全然説明されてないシェイクスピアの場面とかも大好きなんです。

逆に、考察が出来ない、全部説明されてしまう事に魅力を感じなくなってしまった結果、気持ちが離れてしまった気がします。

SHOCKへの大絶賛の言葉を聞く度にすごく複雑で、こんなわかりやすいの不格好だ、って思ってしまうんです。

 

勿論ショーとしてのクオリティは本当にすごいです。演技、歌唱は勿論、フライングだって、装置の移動だって当たり前のように見ているけど、事故と隣り合わせで、すごい事をやっているんです。

でも、ストーリーをわかりやすくする事がワタシの中でショーのブラッシュアップと最後までイコールになりませんでした。もっとわかりにくくていい、というと言い過ぎかもしれませんが、全てを言葉で説明する事ほど不格好なものはないと思うんです。

 

一番の具体例を挙げるならば、スペインのアクシデントです。

一幕Scene7/World Adventure、曲目SOLITARY。セットが袖につかえてしまい、ライバル役が立ち位置に出て来れず、反対の袖から飛び出してくるシーン。

年々少しずつ、少しずつ分かりやすくなっていって、ある年、コウイチがそれを見た瞬間「俺がカバーする。いつも通りやれ!」とカンパニーの他のメンバーに対して言いました。(記憶だけなので台詞はニュアンスです)

もうダメでした。無言で立ち位置に立つだけじゃ伝わらなかったのかな。そこまで汲み取れるぐらい想像力豊かなのって、当たり前にいると思ってたのにそんなに稀有な存在なのかな。みんながそれを求めているのかな。

色んなことが頭の中で渦巻いて、滅多に劇中意識が離れる事はないのですが、この台詞を聞いた瞬間からその後その曲一曲観れなくなってしまいました。

 

そして、昨年15周年のSHOCKで新しく増えた曲目Missing Heart。

アクシデントのあった直後の幕間でのコウイチとライバル役とのやり取りに曲が付いたんです。この曲で、SHOCKという舞台のミュージカル度がグッと上がったように感じます。

しかし、今年のパンフで光ちゃんが言ってる通り、やっぱりワタシには合いませんでした。音楽、曲が付く方が気持ちが乗りやすいのはわかるんです。わかるんです。でもダメでした。

音楽という力を借りなくても表現出来たんじゃないかなって思うんです。ブラッシュアップするべきはそこなんじゃないかなって。

SHOCKでずっと使い続けられた曲を使う事で、関連性だったり、この曲の度にカンパニーに変化が起きるっていう意識があると言っていましたが、ワタシとしては使い回し感が強すぎて辛かったです。

今までと全く違う曲だったのならばそれもまたONE DAY(屋上の曲)だったり、Higherだったりと同じように少しずつ慣れていけたのかも知れないけれど、どうしても「何か曲を付けないといけないけれど、合うのが作れないからこれにしよう」みたいな感じに受け取ってしまったんです。

これに関してはほんと賛否両論あると思います。でもワタシはそう感じてしまったのです。

二幕オーナーの劇場のバックステージでコウイチ、ライバル、オーナーが3重奏で歌うDon't Look Backも説明しすぎてて気持ち悪くなってしまうんです。「失われた命」とか間違っても歌って欲しくなかった。

 

ONE DAYも本当は全然馴染めなかったんです。特にコウイチが帰ってきて、消えるかも知れないけれど、それでもステージを作ろう、ってなった瞬間にあの曲が流れた時は、本当にダメでした。何でこの曲なの!って。

ワタシが大好きだったコウイチは、死んだとわかっても尚まっすぐ前を見て、「何じめじめしてんだよ!」って喝入れて、グッとカンパニーを引っ張っていくコウイチだったんです。あそこの曲が大好きだったんです。

なのに今のコウイチはオーナーを見て、一礼、屋上の曲を歌い始める。勿論テンポも悪いし、何より後ろを振り向いてるような気がして、辛いんです。ワタシの好きなコウイチじゃない、って思ってしまったんです。

劇中最後に今までの曲をCONTINUEに乗せて全部歌うのも、丁寧に思い出をさらってるのが、何だか違和感なんです。 

 

演者が変わっていく事も、賛否両論あるかと思います。ワタシの中でも勿論あります。

ワタシは、頑張っているのはわかっていてもふぉ~ゆ~が4人でライバル役サイドに立っていた時のマツザキの立ち位置がダメでした。(松の演技がダメとかじゃなくて役としての立ち位置の話です。)

ライバル役独白の直前までコミカルに場を盛り上げて、観客がそれに笑った瞬間、ライバル役が「うるせぇんだよ!!」ってマツを殴り飛ばすんです。まるでワタシ達までもが怒られているような感じがして非常に居心地が悪かったのを覚えています。

 

 

そうやって、少しずつ少しずつ好きな曲が好きなシーンが削られていって、好きじゃない演出に変わっていって、それでも意地か惰性か、何故だか毎年毎月観に行っては「あれは違う、あれは好きじゃない」って言ってるのが苦しくなってしまい、こうして一度すべて吐き出して精算する事にしました。

同じように思ってる人がもしかしたらいるかも知れないって思って書いているのも事実ですが、あまりにもSHOCKの進化を前向きに捉えてる方しか目にしないので、自分が圧倒的少数派なんだろうな、って思って、そうなったら本当にこの演出が好きで観たい人に観に行ってもらうべきなんじゃないかなって思ったんです。

 

勿論光ちゃんがSHOCKに向ける想いの1%ももしかしたらわかってないのかも知れないけど、それでもこうして書くことをやめられませんでした。

読み返したら書き直したくなっちゃいそうなのでこのまま上げる事にします。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

光ちゃん、これからも頑張ってね。